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気づきの力は人生を変える!

精神の病気について

 

本日のテーマ

 

 

「なぜ精神の病気は治らない?」

 

 

精神疾患を患い、仕事を続けることが困難になり、退職、その後年金や生活保護を利用し生活されている人は多くいます。

 

彼らの多くは長年精神の病と付き合っており治療も何年もしています。

 

ですが、現状、その生活から抜け出したり、病気を良くしていけてる人が少ないという現実があります。

 

これは非常に難しい問題です。

 

抱えている障害により、日中活動も欠席が続くこともあります。

 

薬が増える一方で、薬により症状を楽にすることはできても、病気が消えるわけではありません。

たばこやお酒に依存しやすく、それを断ち切ることが難しいです。

 

また、目先の不安に精一杯になってしまい、生活習慣が乱れてしまいがちです。

当然運動不足にもなります。

負の連鎖です。

 

自立した生活が難しい人たちはグループホームなどに入居し、支援を受けながら生活します。

 

そこでの世話人生活支援員は医療従事者ではありません。支援はしてくれますが、専門的に病気に対するフォローやアプローチはできていないのが現状です。

 

病気を良くするには現状、精神科の病院、クリニックなどでの治療しからないといえます。

 

また、自分から治そうと思わない限り、誰も救いの手を差し伸べてはくれません。

 

精神疾患の症状は人の数だけあり、自分が伝えないと適切な治療は受けられにくいと思います。

 

しかしながら、精神疾患を患っている方々の多くは、認知機能の低下がみられ、病識が乏しい方も多いです。

病気の本質には気づけず、目先の不安が怖くて仕方なくなっています。中には発達障害の方もいます。

 

つまり1人の力では適切な治療を自ら求めることすら困難な状態ということです。

この危機に当人たちは当然気付いていません。毎日目先の不安で頭がいっぱいだからです。

 

支援員たちはその目先の不安への対処などします。それは本質的な問題が解決しない限り一生続くものです。

 

しかしながら厄介なのは、コレでいいという現実があるということです。

 

その対処や生活全般の支援を仕事にしている人たちは、むしろ完治されたら仕事が減ってしまうのです。会社によってはそういった闇の一面も少なからずあるのです。

 

究極的には病院もそうです。患者さんは十分すぎるくらいいますが、患者さんがいてこその医療というビジネスです。

 

病院によっては精密な治療を展開せず、定期的に話を聞いて、薬を渡すといったルーティンになってるところが多いようです。

 

精神病は内科や外科的な病気や怪我と違い、手術や内服で寛解するようなものではありません。

薬はあくまで痛み止めみたいなもので、症状を誤魔化してるに過ぎないです。

そんなルーティンでは一生治ることはないでしょう。

 

しかし事実として、だからといって他に手があるか、手を打てるかというと、これがまた難しいです。

 

医者たちも諦めてるわけじゃないが、どうしようもないという状況であるのも事実なのです。

 

これは精神病がある種不治の病といわれてるところでもあります。

認知症や慢性的な腰痛みたいなもので、一生付き合っていくしかない一面があるということです。

 

理由となる問題はいくつもあります。

 

病気を治すには本人に治す気がないとはじまりません。人にもよりますが、それを適切に促し理解してくれる周囲の人間が欠かせません。

 

精神疾患を抱えた人たちは、人との関わりを避けます。またIQも理解力も低下しています。

 

信頼のおける人がいるならいいですが、他の方のアドバイスなどを理解し咀嚼し行動に移せる人はなかなかいません。

 

また、一度生活保護の生活に慣れ、現状のままで満足していく人もいます。

 

人によっては、それ以上の治療の必要性を感じていない理解していない人もいるのです。

 

治療する側もそのあたりを熟知した上だとしたら、無理もないルーティンです。

治療を強制することは無意味となります。

 

彼らをもっと良い状態にすることはできるでしょう、しかしながらそれをできなくする壁が多過ぎます。これが精神疾患に携わる業界の闇です。

 

精神疾患の方々を取り巻く環境で働いているスタッフたちも、これらについて気付いている人は多くありません。専門資格も特別必要ありません。

 

会社によっては病状や健康面より、生活周辺の支援をメインに仕事を展開しています。会社は利益を追求するので、当然といえば当然です。

 

つまり誰も治せないのです。

 

治し方はあります、そのエビデンスもあります。

 

ただ、ここに本人が辿り着くまでの壁が高く多いのです。

 

一度精神疾患を患えば本人の意志だけではたどり着くのはほぼ無理でしょう。

人にもよります。不幸な悲劇により患ってしまい努力してる人もいれば、あらゆるストレスに負け努力を放棄しもがいてる人もいる。間違った努力してる人もいれば、辛いことから逃げ続け堕落し生活が壊滅的な方もいます。様々です。

 

病気のせい、この言葉は大変便利な言葉です。

 

確かにすべて病気のせいかもしれません。

精神疾患は目に見える怪我とは違い、一見するとわからないレベルのものもあります。しかし見た目普通だから軽いというわけでもなく大変難しい病気です。

 

だからこそ誤解も絶えない業界です。

ひとついえるのはすべてが病気のせいではないということです。

 

精神疾患は診断が難しく、診断基準が明確なようで明確でありません。

 

精神に異常をきたしてしまった背景は様々で、人によっては嘆かわしい悲劇、人によってはある種自分のせいというパターンもありうるのです。

努力した人、負けた人、放棄した人、様々でしょう。

 

人は生きてれば必ず悲しい出来事や辛い出来事が多かれ少なかれあるでしょう。

 

ストレスのない人間はいません。

 

そんなサバイバルな中、病気になる人、ならない人、この違いはいったいなんなのでしょうか。

 

僕たちは常にサバイバルの渦中にいることを忘れず、彼らから学ぶことが多いということを忘れてはならないと、そう思います。

 

 

 

本日の気付き

 

「精神病を取り巻く環境には闇が潜んでおり、決して人ごとではないという事実がある」

 

ではまた次回!