不安には間違いなく罠がある
本日のテーマ
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「不安による、罠」
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不安のない人はいませんし、
不安はある種の危険察知センサーのようなものだと思います。不安は必ずしも悪い物ではないでしょう。
しかしながら、人が生きる上で苦しい思いをするときは、必ず絡んでくるのが不安でもあるように思います。
不安があるから悩みが生まれますし、恐怖を感じるし、緊張したりします。
この不安の取り扱いは、十分に注意する必要があるといえます。
時として僕たちは、自分でも気づかないうちに自分を苦しめてしまいます。やはり不安に囚われないことが重要と考えています。不安には罠が多いのです。
人が心を病んでしまう理由はいろいろあると思います。そのひとつに、思考のエラーというものがあると思います。
人は常になにかしらを考えて生きていますが、そのほとんどは無意識に思考しています。
不安を感じたときはどうでしょうか。
意識的に考えを巡らせるのではないでしょうか。
このとき罠は発動します。
不安による悩みに対し思考を深めるまではいいのですが、不安が強ければ強いほど思考が止まらなくなってしまいます。
意識的に思考すること自体悪いことではないですが、同時に、思考しすぎることによる弊害について認識しておかなきゃならないのです。
それを認識せずひたすらに思考の世界にはまり込んでしまうと、罠にはまります。
神経症的傾向が強まってしまうという罠です。
この罠は非常に恐ろしい物で、自分では気づかないうちにその力を増していきます。
結果的には、神経症の入り口となり、最悪精神病につながっていってしまうのです。
人が心を病んでしまうのはなぜなのでしょうか。
生きていれば不安はつきもので、怖い思いもするでしょう。これは避けられないでしょうし、生きてる限り全員が経験するでしょう。
きっとこういう負の出来事などが心を病んでしまう原因になってしまっていると考えられますが、病む人もいれば病まない人もいます。
当然不安の元となるものの強さの違いや、個人の性格など色々あると思います。
病む人と病まない人、何が違うと思いますか?
コレが、思考の罠です。
簡単に言うと、考え過ぎてしまうか否かです。
元々病んでない心の状態というのは、脳が健康ということで、思考が正しく行われている状態といえるでしょう。
それは不安など負の出来事に対してもそうです。
ここに意識的にメスを入れてしまう、それが考えすぎるという行為です。
元々健康的な脳を自ら手を加え、結果エラーが発生してしまうのです。
この罠の恐ろしいところは、エラーが起きていることに気づけないことです。
むしろ悩み解決のために努力していて、正しい行為であると自覚されているでしょう。
もちろん意識的に思考し、解決し、考えすぎの状態にはまり込みさえしなければ問題などありません。
ただ、行き過ぎた思考というのがエラーの引き金となり、雪だるま式に神経症的傾向が強くなっていくという危険性が潜んでいるということです。
心の病というのは、考えすぎからはじまると言えるでしょう。
人は考える生き物であり、思考自体は悪いことではありません。度が過ぎると人ゆえの病が起こりうるということです。
まさに現代で問題となっている精神に関わる病気たちです。
考えすぎが引き金になっているということは、知っていて損はないといえるでしょう。
不安が大きければ大きいほど、考えすぎの罠も大きいです。
あらかじめ罠の存在を知ってるかどうかで、不安に対する向き合い方も、変わってくるのではないでしょうか。
本日の気付き
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「不安に対し考えることは、良い面があると同時に、とんでもない罠が潜んでいる」
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ではまた次回!!